和歌・漢詩
★…本文としての出題はあっても、文学史ではあまり問われない作品。
★★…本文としてはほぼ出題されないが、文学史ではよく問われる作品。
★★★…絶対必修の作品。
1 和歌・漢詩
◎上代(奈良時代以前)編
和歌(=やまとうた)は、『古事記』・『日本書紀』に登場するスサノヲノミコトが詠んだのが最初とされ、おなじみの短歌(五・七・五・七・七)の他、長歌(五・七・五・七・五・七…七・七)、旋頭歌(五・七・七・五・七・七)などがあったが、短歌が主流であった。
漢詩(=からうた)は、遣唐使とともに盛んになった。しかし、和歌が天皇から庶民にまで親しまれたのに対して、一部の知識人だけのたしなみであった。
・『懐風藻』★★
【成立】七五一年(奈良時代中期)
【撰者】未詳(淡海三船など、諸説ある)
【内容】近江朝(七世紀後半)から奈良時代までの漢詩約一二〇編を、作者別、年代別に収録。
【特徴】現存最古の漢詩集。主な作者は、文武天皇、大友皇子、大津皇子、藤原宇合、阿倍仲麻呂など。
・『万葉集』★★★
【成立】七七〇年頃・七八二〜三など、諸説ある。(奈良時代後期)
【撰者】未詳(大伴家持とする説が有力)
【内容】二十巻、約四千五百首。相聞歌(私的な感情をやりとりする歌。多くは恋の歌)・挽歌(死者をとむらい、人の死を悲しむ歌)・雑歌(その他の歌)に大別される。伝承的なものを除けば、舒明朝(七世紀前半)から七五九年までの歌が収録されている。
【特徴】現存最古にして最大の和歌集。天皇から庶民にいたる幅広い層の歌が集められ、有名歌人の歌ばかりでなく、東歌や防人歌など、庶民の素朴で率直な歌も多数収録されている。
代表的な歌人は第一期(舒明朝〜壬申の乱)の舒明天皇、天智天皇、天武天皇、額田王・第二期(壬申の乱〜平城遷都)の持統天皇、柿本人麻呂・第三期(平城遷都〜七三三年)の山部赤人、山上憶良、大伴旅人・第四期(七三四〜七五九年)の大伴家持。
特徴的な技巧は、枕詞・序詞。素朴で力強く写実的な「ますらをぶり」の歌風。
日本語(やまとことば)を表記するために漢字の音と訓が利用されており、その表記方法は「万葉仮名」と呼ばれる。
練習問題
(1) 次にあげる万葉歌人の説明は誰に該当するか。後のア〜オの人名から選び、記号で答えなさい。
a 第一期を代表する多情多感な女流歌人。 ( )
b 第二期の長歌の名手。「歌聖」と呼ばれた宮廷歌人。 ( )
c 第三期の人生歌人で、弱者・貧者への人間愛を歌った人。 ( )
d 第三期の自然歌人で、澄明な叙景歌の完成者。 ( )
e 第四期の、『万葉集』の編者ともいわれている人。 ( )
人名
ア 柿本人麻呂 イ 大伴家持 ウ 山上憶良 エ 山部赤人
オ 額田王
(2) 次に掲げる『小倉百人一首』の和歌の上の句に対応する下の句を選び、記号で答えなさい。
a (天智天皇)秋の田のかりほの庵の苫を荒み ( )
b (持統天皇)春過ぎて夏来にけらし白妙の ( )
c (柿本人麻呂)あしひきの山鳥の尾のしだり尾の ( )
d (山部赤人)田子の浦にうち出でて見れば白妙の ( )
e (大伴家持)鵲の渡せる橋に置く霜の ( )
下の句
ア わが衣手は露に濡れつつ
イ ながながし夜をひとりかも寝む
ウ 白きを見れば夜ぞ更けにける
エ 富士の高嶺に雪は降りつつ
オ 衣干すてふ天の香具山
◎中古(平安時代)編
平安時代初期には、唐風の文化(弘仁・貞観文化)が花開き、和歌よりも漢詩の方が盛んになる。嵯峨天皇・淳和天皇の頃(九世紀前半)には、天皇の宣旨による勅撰漢詩文集も創られた。
しかし、遣唐使廃止(八九四年)を契機に国風文化の時代となると、仮名文字の確立もあって、和歌が隆盛となる。醍醐天皇の宣旨による最初の勅撰和歌集『古今和歌集』は、以後千年に渡って和歌のバイブルであり続けた。
①漢詩文の隆盛(中古前期)
勅撰漢詩文集
・『凌雲集』★★
【成立】八一四年(平安時代初期)
【撰者】小野岑守、菅原清公ら
【特徴】嵯峨天皇の宣旨による最初の勅撰漢詩文集。主な詩人は嵯峨天皇、小野岑守、菅原清公、小野篁、空海ら。
・『文華秀麗集』★★
【成立】八一八年(平安時代初期)
【撰者】藤原冬嗣ら
【特徴】嵯峨天皇の宣旨による二番目の勅撰漢詩文集。
・『経国集』★★
【成立】八二七年(平安時代初期)
【撰者】良岑安世、菅原清公ら
【特徴】淳和天皇の宣旨による三番目の勅撰漢詩文集。
その他の漢詩文集
・『性霊集(遍照発揮性霊集)』 空海
・『菅家文草』 菅原道真
詩論
・『文鏡秘府論』 空海
練習問題
(1) 次の文を読んで、後の問に答えなさい。
前代に引き続き平安遷都後も漢文学は衰えず、漢詩文は、1(勅撰の三集)をはじめ、2(菅原道真らの個人の集)も続出し、勅撰和歌集や私家集の先駆をなした。また3(空海が著した文学詩論)は、後の歌論書に大きな影響を与え、有名な漢詩句は好んで朗詠された。
問一 括弧1「勅撰の三集」を、成立順に答えなさい。
問二 括弧2,3にあてはまる作品をそれぞれ次の語群から選びなさい。
ア 性霊集 イ 菅家文草 ウ 新撰髄脳 エ 文鏡秘府論
②国風文化期(十〜十一世紀)
勅撰和歌集
・『古今和歌集』★★★
【成立】九〇五年(平安時代前期)
【撰者】紀貫之、紀友則、壬生忠岑、凡河内躬恒
【内容】二十巻、約千百首はほとんどが短歌。
春、夏、秋、冬、賀、離別、羇旅、物名、恋、哀傷、雑など、テーマ別に分類される(部立)。
また、序文として、和文の仮名序(紀貫之)と漢文の真名序(紀淑望)が付けられており、とくに仮名序は、歌論として後世に大きな影響を与えた。
特徴】醍醐天皇の宣旨による最初の勅撰和歌集。
詠み人しらず(作者未詳)の時代(平安時代初期まで)、六歌仙の時代(八五〇頃〜八九〇頃)、撰者の時代(八九〇頃〜九〇五)の三期に大別される。
主な歌人は、六歌仙(在原業平、小野小町、文屋康秀、大友黒主、僧正遍昭、喜撰法師)と撰者の四人を知っていれば十分。
特徴的な技巧は、掛詞・縁語・擬人法など。繊細で技巧的な「たをやめぶり」の歌風。
・『後撰和歌集』★★
【成立】九五一年(平安時代中期)
【撰者】源順、大中臣能宣、清原元輔、紀時文、坂上望城(梨壺の五人)
【特徴】村上天皇の宣旨による二番目の勅撰和歌集。貴族間の贈答歌が多い。
主な歌人は、紀貫之、伊勢(宇多天皇の中宮に仕えた女房)ら。
・『拾遺和歌集』★★
【成立】一〇〇六年頃(平安時代中期)
【撰者】未詳(花山院とする説、藤原公任とする説などがある。藤原公任が撰したとされる『拾遺抄』に花山院が増補して成立したとする説が有力)
【特徴】花山法皇の命による三番目の勅撰和歌集。
『古今』・『後撰』・『拾遺』の三つの勅撰和歌集を「三代集」という。
・『後拾遺和歌集』★★
【成立】一〇八六年(平安時代後期)
【撰者】藤原通俊
【特徴】白河天皇の宣旨による四番目の勅撰和歌集。
その他の和歌集
・『和漢朗詠集』★★
【成立】一〇一二年(平安時代中期)
【撰者】藤原公任
【特徴】和歌だけでなく、漢詩(中国のものと日本のもの)も含めて、朗詠 するのに適した秀句を集めている。
歌論
・『新撰髄脳』
【成立】一〇四一年
【作者】藤原公任
【特徴】和歌を「心」(歌の内容)と「姿」(歌の形態)で捉え、その調和を理想とする、「心姿兼備」を説く。
国風文化期の代表的な歌人
男性 藤原公任、藤原定頼(公任の子)、藤原道信、曾禰好忠ら
女性 和泉式部、赤染衛門、伊勢大輔、紫式部ら
練習問題
(1) 『古今和歌集』の「仮名序」において、次のように評される六歌仙の歌人を答えな さい。
ア その心あまりて、ことばたらず。しぼめる花のいろなくて、にほひ残れるがごとし。
イ あはれなるやうにて、つよからず。いはば、よきをうなの、なやめるところあるににたり。
ウ ことばかすかにして、始め終りたしかならず。いはば、秋の月を見るに暁の雲に あへるがごとし。
(2) 『枕草子』の作者清少納言の父は、有名な歌人である清原元輔であるが、その元輔 が撰者の一人となった勅撰和歌集を答えなさい。
(3) 遣唐使が廃止され、平仮名の発明による( 1 )文化の高まりは、( 2 )世紀初頭に、第一勅撰和歌集『古今和歌集』を生み出した。一方、和歌の日用化が行われて、往復文書に和歌が使用されるようになり、( 3 )が廃れて、専ら( 4 )のみが作られ、( 5 )の如き和歌競技をも流行させた。和歌のこのような日常生活化・遊戯化は、前代の( 6 )さを喪失させ、和歌は( 7 )なものになっていった。
問 空欄1〜7にあてはまる語句を次から選びなさい。
ア 連歌 イ 率直 ウ 長歌 エ 歌合 オ 機知的
カ 短歌 キ 国風 ク 九 ケ 十 コ 余情
サ 伝奇的
③院政期(十二世紀)
・『金葉和歌集』★★
【成立】一一二六年頃
【撰者】源俊頼
【特徴】白河法皇の院宣による五番目の勅撰和歌集。
・『詞花和歌集』★★
【成立】一一五一年頃
【撰者】藤原顕輔
【特徴】崇徳上皇の院宣による六番目の勅撰和歌集。
・『千載和歌集』★★
【成立】一一八八年
【撰者】藤原俊成
【特徴】後白河法皇の院宣による七番目の勅撰和歌集。主な歌人は、源俊頼、藤原俊成、藤原基俊、崇徳院、俊恵ら。叙情性豊かな「幽玄」の歌風。
私家集
・『山家集』★★
【成立】未詳(平安後期)
【作者】西行
【特徴】自然の美を愛し、平明枯淡の歌風。隠者文学の代表でもある。
歌論
・『俊頼髄脳』★
【成立】一一一五年頃
【作者】源俊頼
【特徴】作歌の手引き書だが、和歌に関する故事・説話を多く収録。
◎中世編
・『新古今和歌集』★★★
【成立】一二〇五年
【撰者】源通具、藤原定家、藤原家隆、藤原有家、飛鳥井(藤原)雅経、寂蓮
【特徴】後鳥羽上皇の院宣による八番目の勅撰和歌集。
主な歌人は、撰者の他、西行、慈円、藤原良経、藤原俊成、式子内親王(後白河天皇の皇女)ら。
象徴的、情趣的、技巧的歌風(新古今調)で、特徴的な技巧は、体言止め、本歌取りなど。
『古今』から『新古今』までの八つの勅撰和歌集を八代集と呼ぶ。以後も勅撰和歌集は作られ、全部で二十一あるが、入試で必修なのは八代集だけである。
その他の歌集
・『小倉百人一首』
【成立】一二三五年頃
【撰者】藤原定家
【内容】天智天皇(七世紀)から順徳院(十三世紀)までの百人の歌人の歌を一首ずつ集めたもの。定家が小倉山の別荘で撰したことから、この名があるという。
・『金槐和歌集』★★
【成立】一二一三年
【作者】源実朝
【特徴】鎌倉幕府の三代将軍実朝の私家集。
本歌取りの歌が主だが、万葉調の独創的な歌を含む。実朝が定家に『万葉集』を贈られたことに触発されたものらしい。正岡子規は、実朝を『万葉集』後では最大の歌人と評価している。
歌論
・『古来風体抄』
【成立】一二〇一年
【作者】藤原俊成
【内容】和歌の歴史、秀歌の提示が主。
・『無名抄』★★★
【成立】一二二一年以降
【作者】鴨長明
【内容】作歌の心得、和歌の故実、歌人の逸話など。
【特徴】作者・鴨長明が重要。入試でもよく出題される。
・『近代秀歌』
【成立】不明(鎌倉時代前期)
【作者】藤原定家
【内容】源実朝への書簡の形式を取り、本歌取りの方法論を述べ、秀歌の提示をしている。
【歌人】定家には他に歌論『毎月抄』、私家集『拾遺愚草』、日記『明月記』などがあり、鎌倉時代を代表する歌人である。
練習問題
(1) 次の中で、八代集に含まれないものを一つ選びなさい。
ア 『古今和歌集』 イ 『万葉集』 ウ 『新古今和歌集』
エ 『千載和歌集』 オ 『金葉和歌集』
(2) 次の文中の空欄に入るものを、後の語群から選びなさい。
平安時代の中期、「三船の才」と称えられた( 1 )は、和歌にも漢詩にも優れ、( 2 )を撰している。( 1 )は、関白藤原道長や、『源氏物語』の作者紫式部、『枕草子』の作者清少納言と同時代人でもある。
平安末期には、『平家物語』の中で薩摩守忠度が自作の歌を託した( 3 )が、七番目の勅撰和歌集( 4 )を撰した他、諸国を流浪して秀歌を残した西行が出現している。西行の私家集( 5 )は、隠者文学の代表でもある。
鎌倉時代になると、後鳥羽上皇の院政の下、和歌は隆盛を迎える。( 3 )の子である( 6 )は、『新古今和歌集』の撰者の一人であるとともに、現在も「かるた」として親しまれる( 7 )も撰したとされる。( 6 )から書簡で指導を受けた将軍実朝は、『万葉集』に触発され、( 8 )の中に万葉調の歌を残している。
語群 ア 藤原俊成 イ 藤原定家 ウ 藤原公任 エ 『千載和歌集』
オ 『和漢朗詠集』 カ 『金槐和歌集』 キ 『山家集』
ク 『小倉百人一首』